大理石の豪華な風呂から上がったリザレリスは、侍女たちから服を着せられるのを必死に耐えていた。
「これぐらい自分でやるし......」
「何をおっしゃいますか。記憶を失っていらっしゃるとはいえ貴女は王女殿下なのですよ」
特別侍女長のルイーズがリザレリスに注意を入れる。まるで女教師といった雰囲気の彼女は、特別にリザレリスの専用世話係に急遽抜擢されたベテラン侍女である。すでにリザレリスは彼女のことを苦手に思っていた。
「てゆーか俺...わたしって、王女殿下なんだろ?だったらあんたより偉いってことなんじゃないの?」
リザレリスがうんざりした口調で言うと、ルイーズの眼光の鋭さが一段と増した。
「だからこそなのですよ!」
「どゆこと?」
「貴女は高貴なる王女殿下。正統なるヴァンパイアプリンセス。相応しい振る舞いをしていただかないと我々が困ってしまうのです」
「ヴァンパイアプリンセスの振る舞いって、血をすすること?」
リザレリスは悪戯っぽくペロンと舌舐めずりをして見せた。そんな彼女のじゃじゃ馬っぷりに、ルイーズの表情はいかにも引き締まる。
「これから私がきっちりと仕込んで参りますので、覚悟なさってください」
「うわぁ、シャレも通じないのか」
「......なんでございましょう」
「なんでもないですよーだ。じゃ、もう服着たから部屋に戻るぞ」
「髪の毛がまだです!」
「まだやんの??」
「きちんとお手入れいたしませんとせっかくの美しいブロンドヘアーが台無しになってしまいます!」
「いいじゃん、もう寝るだけなんだし」
「今日のためだけではありません!」
「うわぁ、メンドクサイ......」
「はい!?」
「いえ、なんでもないっす......」
鬼のマナー講師とでも言わんばかりのルイーズの様相は、ますますリザレリスをげんなりさせた。
・
寝室に戻ってきて一人になると、リザレリスはふかふかの大きなベッドに顔からぼふんと倒れ込んだ。シーツも布団も枕も新調されていた。
「王女様って、なんか疲れるなぁ」
もぞっと寝返りを打って仰向けになり、自分の胸を触った。
「風呂入って裸を見ても全然興奮しなかった。自分の体だからなのか、女になっちゃったからなのか。自分で言うのもアレだけど、前世じゃ女好きだったのになぁ〜」
なんだか途端につまらない気分になってくる。なんなら男でも誘惑してみようか。そんなことさえ考える。
しかし、王女といっても何でもかんでも好き放題やり放題というわけではない。おまけに今のこの生活も、ディリアスの懸念通りに国が破綻してしまったならそこで終わりだ。
「てゆーか、本当にそんなに逼迫してるのか?」
にわかにリザレリスの胸に疑問が湧いてくる。少なくとも城の中の暮らしは、衣食住どれを取っても贅沢なものだった。
「城の外に、街に出てみたいな......」
リザレリスはむくりと起き上がる。時計に目をやる。時刻は九時を回っていた。あとは寝る以外やることがない。だが眠くはないし寝る気にもなれない。
「夜遊びをしまくっていた前世の血が騒ぐぜ......」
リザレリスは口元にヒヒヒと悪い笑みを浮かべると、ぬらりと立ち上がった。
「リザさま。おはようございます」起きるなり若くて美しい侍女がやさしく声をかけてきた。「おはよう。マデリーン」リザレリスが応えると、マデリーンは満面の笑みを浮かべた。「本日も朝からリザさまはとってもお可愛くていらっしゃいます」「マデリーンのほうこそ朝から美人だな」元遊び人らしくリザレリスも調子良く返した。するとマデリーンの顔がトロけるようにほころぶ。「そ、そんな、リザさまからそのようなお言葉をいただけるなんて」気をよくしたリザレリスは、マデリーンの頬にそっと手を触れる。「こんな綺麗な侍女がいてくれて、俺...わたしは幸せだぜ」「はあ!」マデリーンは膝から崩れ落ちた。「まったく朝から何をやっているんですか」後ろからルイーズが呆れながらやってきた。
【25】夜、皆が帰っていった後。リザレリスが自室に戻っていってから、居間でエミルはルイーズに訊ねた。言うまでもなくマデリーンについてのことだ。確かに彼女は、まるで人が変わったようにリザレリスへ従順になった。しかし彼女がリザレリスを傷つけたことは事実。それなのに侍女として彼女を迎え入れたのはどういうことなのか。「もちろん無条件に受け入れたのではありません。マデリーン・ラッチェンは、私の課した試験に合格したので採用しました」これがルイーズの回答だった。そして彼女はこうも付け加えた。「マデリーン・ラッチェンは、何もかも正直に話してくれましたよ。その上で彼女はリザレリス王女殿下の侍女になりたいと申しました。そんな彼女に対し、私は通常よりも遥かに厳しく試験と審査を行いました。しかし彼女は合格しました。ハッキリ言いましょう。彼女は優秀です。今後、彼女は必ず役立ってくれると私は判断しました」その説明は、エミルを納得させるに余りあるものだった。ルイーズという人間のことをエミルはよく知っている。彼女の課す試験と審査というものが、どれだけ厳しいのかを知っていた。エミルにとって彼女は、真の信頼に足る人物だった。彼は彼女を尊敬もしていた。「ルイーズさんがそう言うなら、そういうことなのでしょう」エミルが納得して見せると、ルイーズは口元を緩めた。
こうしてすっかり楽しい雰囲気となった彼らへ、サプライズが起こったのは夕食の時だった。食卓に着いた彼らのもとへ、ルイーズの指示に従い侍女が料理を運んでくる。最初は誰も気にしなかったが、ふと皆の視線が彼女に貼りついて固まった。ルイーズが満を持してといった具合に、咳払いをひとつする。「彼女は、本日から新しく侍女として入って参りました。マデリーン・ラッチェンです」侍女姿となったマデリーンは、リザレリスたちに顔を向け、挨拶する。「改めまして、本日よりリザレリス王女殿下の侍女としてこちらに勤めさせていただきます、マデリーン・ラッチェンです。どうぞよろしくお願いいたします」部屋に沈黙が訪れる。誰にも理解が追いつかない。皆が口を半開きにする中、フェリックスが吹き出した。「これは参ったな。さすがに僕にも予想外だったよ」笑い声を上げるフェリックスに、マデリーンが体を向ける。「フェリックス様の温情ある措置があったからこそ、今の私があります。本当にありがとうございました」彼女の謝意に対しフェリックスが会釈した時、ようやくリザレリスたちも一斉に声を上げた。「えええー!?」
放課後、肩を落として校舎から出てくるリザリレスを待っていたのは、レイナードとフェリックスだった。このタイミングでこのふたりが待っていたということは、理由はひとつだろう。「リザも聞いていると思うけど」とフェリックスは前置きして、リザレリスの反応を窺ってきた。リザリレスは無言で頷く。それを確認すると、彼は申し訳なさそうな顔を浮かべた。「彼女が自分自身で決めたことだから、これ以上は僕にもどうにもできない」そんなフェリックスに、レイナードは言う。「いや、兄貴は最大限のことをやってくれた。俺なんか最初からなんもできてねえ」レイナードは悔しさに唇を噛んだ。空気が重くなっている彼らを、周囲の生徒たちは不思議そうに眺めていた。いったい王子ふたりが一年生と何を話しているんだろう、という目で。マズイと思ったエミルとクララが視線を交わし合う。「早く参りましょう!」エミルとクララに促され、リザレリスたちは歩き出した。一行が乗り込んだ馬車がリザリレスの屋敷に到着すると、クララが遠慮がちに口をひらく。「ほ、本当に、私までよろしいんですか?」「当たり前じゃん。こんな日だからこそ今日はみんなで楽しみたいんだよ。クララもいてくんなきゃ困る」
人気のない校舎の裏庭までやって来ると、マデリーンが立ち止まり、こちらへ振り向いた。彼女は周囲を見まわしてから、クララへ顔を向ける。「巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」自分への謝罪にびっくりしたクララは、慌てて手を横に振った。「わ、私は、むしろ加害者側で」「違う。貴女も私の被害者よ。それに貴女がいなければ本当に取り返しのつかないことになっていたかもしれない」「そ、そんな、私は」「ごめんなさい。そして、ブラッドヘルム王女様を救ってくれてありがとう」「わ、私は、できることをやっただけです」クララは複雑な胸中で恐縮するが、マデリーンの様子には安堵していた。それからマデリーンは、改まってリザリレスの方へ向く。「ブラッドヘルムさん。いえ、リザレリス王女殿下」「は、はい」やけに畏まった様子にリザリレスはやや戸惑うが、このあとさらに困惑させられる。マデリーンが跪いてきたのだ。「この度は、多大なご迷惑を
【24】シルヴィアンナと取り巻きは、教室で呆気に取られていた。あの日の翌日以降、リザリレスが何も気にしていないからだ。怒るでもなければ怖がるでもなし。文句すら言ってこない。ただ何事もなかったように、教室でも外でも普通に明るく楽しく過ごしている。「どういうことなんでしょう......」取り巻きが言うと、シルヴィアンナはふんと鼻を鳴らす。「それよりもラッチェン先輩の停学処分が気になるわ。あの人、いったい何をやったの?」「さあ。あのあと私たちはそのまま帰ってしまいましたから......」「そういう約束だったからそれは仕方ないわ。ただ、あの人の停学処分の理由がわからないと、何となくわたくしたちも大人しくせざるをえないじゃない」マデリーン・ラッチェン停学については、一年生の間でも噂が広がっていた。何せマデリーンは第二王子の恋人だった女。その彼女が停学処分となったのだから、何かと勘ぐられ、囁かれてしまうのは仕方がないことだろう。ただし噂はどれも憶測レベルで、信憑性に欠けるものだった。 「し、シルヴィア様の、おっしゃるとおりです」おずおずと取り巻きは答えた。そうとしか答えようがなかった。シルヴィアンナは苛立ちを滲ませる。